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Author:M
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宗教革命(その34) |
地頭の私怨で政府高官へ讒言
東条影信が手に入れようとしていた範囲の中に、日蓮の実家も日蓮が得度出家した清澄寺も含まれていた。
東条影信と名越の尼所有の土地争いが激化してきたのは、日蓮の立教開示後の事であった。
名越の尼は、日蓮にとって実家の主のような関係であり、日蓮の布教の拠点は名越の地に尼が提供していた。
日蓮は名越の尼の代理人として、問注所へ裁判に訴え、名越の尼に勝訴の判決が下った。
東条影信から見ればあと少しで広大な領地を手中に出来たところを日蓮に依って覆され、日蓮がいなければと怨念を深めた。
東条影信は強信な念仏信者で念仏門に入道し蓮智と号を持つ。
日蓮が立教開示し念仏批判を始めたことも許せなかったその上に、地頭職の自分に楯突き今回の事件を起こした日蓮への恨みは尋常で無い。
強欲な男に怨念が加わった東条郷の地頭、東条左衛門影信。
影信が強引なのは、政府高官にパイプがあったからである。
これまではパイプをつかい強引なやり方が通ってきたが、日蓮にしてやられた。
斯くなる上は、日蓮は国家謀反を企む危険人物と仕上げ、合法的に抹殺しようとパイプを使い高級官僚や夫人たちに悪評を流し日蓮のイメージ戦略を企て風説を流布していった。
名越の尼との裁判に影信が敗れた後に、立正安国論を提出した日蓮にかかった事件の背景には影信の私怨が働いていたのである。
日蓮は伊豆流罪から釈放され、母を見舞うため実家へ向かう。
鎌倉から日蓮が安房へ来る情報を入手した影信は千載一遇のチャンス到来と安房国東条郷松原大路に武装兵を配置する。
日蓮の実家がある小湊は東条郷の松原大路を通過しなければならない地形に位置していた。
東条影信の土地に入らなければならなかったのである。
それゆえに日蓮は松原大路を通過する時刻を申酉としたのであろうか、旧暦の11月の申酉の時刻は、現在の12月午後5時過ぎに当たり、街路灯も無い時代は闇に包まれる時刻である。
しかし、いくら暗闇であろうとも武装兵が数百人である。
取り逃がす確率は無いに等しく、討ち取って当然の状況であった。
日蓮一行が来た、軍勢が襲いかかる。
自分の土地で何をしようが闇から闇に葬れる立場の影信であった。
だが、日蓮暗殺は失敗した。
竜の口の頸の座以上に不思議な現象が此処に顕れた。
影信からすれば打ちもらしたのである。
(その35)へ続く
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